2007年01月01日

光明山遺跡から南を望む -2

光明山遺跡 浜松市の平野部から、遠州灘が望めました。ほんのりとした光が浜松市を包んでいました。

 ここは、平安時代に行基が開いたといわれる光明寺というお寺があり、戦国時代に武田軍と徳川軍の戦いの折には、寺は現在の山東の位置に移動し、ここは光明城になったといわれます。何しろ山城と、砦が数多くある地でしたし、この眺望から戦略的価値があったのでしょう。

 その後、城は破棄されて、再度光明寺の大伽藍が造られたそうですが、焼失し、現在の山東の位置に移ったそうです。

赤い岩の石垣 石垣を見ると、城壁なのか、寺の石垣なのか分かりませんが、とてもしっかりしたつくりになっています。あの大きな赤石を切り出したり、運んだりを、人力だけで行ったのでしょうが、そうするとかなりの労働力=財力や信仰があったと思われます。しかも隙間なくきれいに詰まれています。

 赤石の石垣というのも、この地が赤石山脈の南端であるからでしょう。 

 15年位前に、天竜の有志の方々が整備して、今のようにきれいになっています。
おかげで、気持ちのよい場所になっています。
甘酒を振舞ってらした方々がおりまして、おいしく頂きましたが、おそらく有志の方々です。
毎年ではなく、今年は復活とか言ってました。ごちそうさまでした。


同じカテゴリー(春野を歩こう)の記事
犬居のサクラ
犬居のサクラ(2009-04-04 19:21)

光明山遺跡
光明山遺跡(2006-12-30 11:42)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 4人
プロフィール
鈴木猛史
鈴木猛史
 私、茶師 鈴木猛史と申します。HN たけ茶ん です。

春野の山ん中で、お茶を栽培、製茶、販売しています。

父母、私、パートナー、子ども子ども子どもの7人家族。 通販は4代目の親父が、35年ほど前から始め、 おかげさまでクチコミでご愛顧頂き感謝しています。 どうぞよろしくお願いします。(^-^)u~
お茶農家の八蔵園
オーナーへメッセージ
削除
光明山遺跡から南を望む -2
    コメント(0)