2006年12月30日
光明山遺跡

光明山は、
愛鏡山光明寺として、北に位置する秋葉山と共に信仰されましたが、昭和6年に発生した火災で焼失しました。現在は山東に移転していますが、それまではここにありました。もっとも戦国時代には光明城として、光明寺は移転していたそうで、その当時に徳川家康ゆかりの、腰掛石やら隠れ岩などがあるようです。
庶民、特に遠州灘を行く船のりに信仰があったとも言われ、鏡岩の伝承も、この見晴らしのよさならばそうかなと思います。
ここにはおもしろいものがいろいろあるのですが、またの機会に。(撮影:2001.12.16.たけ茶ん)
いつもは自宅から7:30分頃の向かいの山からの日の出ですが(ちょっと寝坊しても間に合う
)、もうちょっと早いかな。
庶民、特に遠州灘を行く船のりに信仰があったとも言われ、鏡岩の伝承も、この見晴らしのよさならばそうかなと思います。

いつもは自宅から7:30分頃の向かいの山からの日の出ですが(ちょっと寝坊しても間に合う

Posted by 鈴木猛史 at 11:42│Comments(0)
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