光明山遺跡から南を望む -2
浜松市の平野部から、遠州灘が望めました。ほんのりとした光が浜松市を包んでいました。
ここは、平安時代に行基が開いたといわれる光明寺というお寺があり、戦国時代に武田軍と徳川軍の戦いの折には、寺は現在の山東の位置に移動し、ここは光明城になったといわれます。何しろ山城と、砦が数多くある地でしたし、この眺望から戦略的価値があったのでしょう。
その後、城は破棄されて、再度光明寺の大伽藍が造られたそうですが、焼失し、現在の山東の位置に移ったそうです。
石垣を見ると、城壁なのか、寺の石垣なのか分かりませんが、とてもしっかりしたつくりになっています。あの大きな赤石を切り出したり、運んだりを、人力だけで行ったのでしょうが、そうするとかなりの労働力=財力や信仰があったと思われます。しかも隙間なくきれいに詰まれています。
赤石の石垣というのも、この地が赤石山脈の南端であるからでしょう。
15年位前に、天竜の有志の方々が整備して、今のようにきれいになっています。
おかげで、気持ちのよい場所になっています。
甘酒を振舞ってらした方々がおりまして、おいしく頂きましたが、おそらく有志の方々です。
毎年ではなく、今年は復活とか言ってました。ごちそうさまでした。
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